体験談
わたしのシングルファーザー生活 渡邊修一さん

いわゆる、男性社会の中では父子家庭という立場は選ばないのが普通で、気の毒な男とか、嫁に逃げられたとか、まあ、そんな扱いである。私の場合、それでも10年間結婚生活を続け子育ては誰にも負けないくらいしていたが、妻の精神的疾患との付き合いにほとほと疲れてしまったのが素直な離婚の理由である。

嫁の方から子どもを育てることができないと言われたが、そんなことより自分にとって子どもと離れて生きていく選択肢はなかった。単身赴任先の浜松に二人の娘を連れてきてなんとかできると思っていた。更に体力も精神力も人一倍あり不死身だとさえ思っていた。

当時は家電量販店の店長で店にいる時間は朝の8時から夜の9時まで、仕事の途中、売上の銀行入金のタイミングで店を出て、保育園の次女のお迎え、学童保育の長女のお迎えをしてアパートに連れていき、また職場に戻る生活を続けた。

半年も経ったところで身体に異変が出て、朝起きるとおなかがパンパン膨れていた。腹痛が増す中、保育園に次女を送り届けて、近くの病院に行くと腸閉塞ということで総合病院に移り入院した。気が付くと先生に連れられた娘二人がベッドの脇で号泣していた。

後から聞くと鼻から管を入れられた父親の姿が痛々しかったから泣いたみたいだ。それをきっかけに仕事に対する価値観が変わった。その職場も2年後には退職して1年間職業訓練校に通ってその間は娘との時間も作れた。

それからの人生、4年働いては転職を繰り返すような生活が続いた。年を重ねるごとに給料も下がり続けた。48歳の時、NPO法人を設立したが資金は0円である。ダブルワークを重ね、ようやく専従で活動できるようになったのは設立後8年目である。今は子ども食堂・無料学習支援、フードバンクやひとり親相談の活動で休む暇もないぐらいである。子ども食堂も毎週土曜日、自ら鍋を振っている。そんな子ども食堂の会場は昔娘たちがお世話になった学童保育の会場であった公民館である。

(体験者:NPO法人サステナブルネット理事長・渡邊修一さん)

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