体験談

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子どもが小学3年生のとき、団地の役員をやりました。

我が棟は総務。しかし放送ができる人がいないということで、私が放送係も掛けもちしました。毎月3〜4回ほど、連絡事項を放送し、役員の方とも仲良くなっていきました。とりわけ自治会長には仲良くしていただき、コーヒーの差し入れから始まり、ときには子どもとご飯に連れて行ってもらうこともありました。

会長はひとり暮らし。奥様をはやくに亡くされ、お子様がいなかったため、お孫さんもいませんでした。私と息子と会長の3人でいると、おじいちゃんと、ママと子という構図でした。

1年後、私は役員を卒業しました。子どもは4年生になり学童を卒業。学童卒業と同時に放課後の自由を手にいれた息子は、なんと家のお金を勝手に持ちだし、友達ひとりにごちそうしたり、高価なカードを買ったりするようになりました。

夏休みについにバレて、私は初めて大声で叱りつけました。そのとき手を差し伸べてくれたのが会長でした。私が子どもに自宅の鍵を渡したくないと言うと、会長が私が帰るまで放課後預かってくださると言うのです。

それから子どもは会長の家に帰宅し、2人はおじいちゃんと孫のように過ごしました。息子が「ただいま!」と言って帰ってくるんだよ〜とうれしそうに話す会長。少しでも帰りが遅いと私に「〇〇くん(息子の名前)がまだ帰ってこない」と電話してきて、心から心配してくれました。

本当にかわいがっていただきました。パチンコ大好きな会長でしたが、息子が帰ってくる時間にはパチンコをやめて家にいてくれて、また、タバコ嫌いな私たち親子のためにタバコもやめてくれました。

私たちは血はつながらなくても家族でした。私がお迎えに行くと、2人で仲良くテレビを観ていたり、2人仲良くお昼寝していたり、ときには学校の友達を会長の家に招いていたこともありました。

そのうちに会長の家で、夕食まで食べて帰るようになりました。いろいろな話をしました。本当に楽しい日々でした。

会長がガンだと分かったのは、息子が6年生のときでした。息子の結婚式にはきてね! と言っていたのに、小学校の卒業式にもこられませんでした。

平成から令和になった5月1日、たった数時間だけ令和を生きて、会長は亡くなりました。お骨になった会長を息子が抱っこし、会長は天国に旅立ちました。会長は私の父であり、息子のおじいちゃんでした。

これを書きながらもまだ涙が出てきてしまいますが、心からの感謝を伝えたいと思い、文章にさせていただきました。会長、本当に本当にありがとう。

H・M

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